博物館

ファーストキスは17歳。

3月 ③ ピース

明日は夜勤があるから今日行こうと誘われて、パパとごはんに行った。テラスが綺麗なイタリアンのお店。風が冷たくて店内で食事したから、次に行くときは外で食べたいな。夏とか気持ち良さそう。なんでも好きなものを頼んでと言われたけれど食べ物の教養が全くない私はよく分からなくて全部店員さんに聞いた。丁寧に説明してもらえて良かった。久しぶりに美味しい野菜を食べた気がする。パパと話すのも久しぶりだった。パパは私にいつもなにも言わない。言わないのか言えないのか。分からないけれど。今日も天気と目の前の食べ物の話ばかりした。

車から街のきらきらを眺めていたら好きな人とタクシーで通った道を丁度走っていて切なくなった。私はいつまでも子供でいたい。

3月 ② たのしい?うん、たのしいよ

昨日は塾の卒業式に行った。先生の周りはいつもみたいに生徒でいっぱいだったから帰ろうとしたら私を見つけて声をかけてくれて嬉しかった。せんせ、ねこ元気?うん、元気あ、おれ子ども生まれたんだ。女の子?男の子。おめでたいね!うん、お前も合格して良かったな。っていう会話。先生の家のねこは、先生の奥さんが拾った三毛猫。
帰り道、先生とはもしかしたらこれから先一度も会わずに死ぬのかもしれないなと考えたら涙がでた。私は見送られてばかりだ。先生は見送ってばかり。電車の中には花束を抱えた女子高生がいて、もう春が来たんだと思った。別れるのがさみしいなんて分かっているのに私はやっぱり誰かと出会い続けたい。

明日は17歳さいごの日。呼吸するだけじゃない生き方をしよう。

3月 ① 夜が短い

ジョナサンに行ったらデザートが充実していて高まった。ちょうどいちごフェアをやっていたのでいちごパフェを食べた。パフェだけれどカロリーを見たら315kcalと思っていたよりも低かった。
いつのまにか3月で、ああそうか2月って28日までだっけと思う。今年の2月のカレンダーは日付が真四角におさまって、とても綺麗な並びだった。この感覚は外国の人にもあるのだろうか。きになる。

ゆっくり休みなよと言う時、そのゆっくりの中に映画を見ることが含まれている人にきゅんとするって気がついた。英語の先生。トムクルーズが大好きな可愛い人。


2月 ⑩ 物語のある服

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お母さんがむかしパパに編んだセーターを着て出かけた。ワンピースみたいになって可愛かったから。私はある店員さんに出会えたおかげで服やアクセサリーなど身につけるものへの関心が高くなった。去年の7月のこと。ブランドが持つストーリーを聞くのは楽しい。ファッションは一種の物語だと知ると、ただの服が思い入れのある服になる。お母さんとパパはもう笑ってくだらない会話をすることはないけれど、兄が生まれて私が生まれて妹が生まれて家族ができたことにはちゃんと意味があるのだろう。だってセーターをワンピースにできるんだもんね。


2月 ⑨ 生活

家のカレーには大根が入っていて、その大根があんまり好きじゃない。じゃがいもにしてくれ、と思う。夕食は基本的にパパが作るから、仕方ないなとも思う。糖質制限をしているからじゃがいもをたくさんは食べてはいけないのだ。
パパはたべることがあまり好きではないのに定食屋を営んでいる。お母さんに聞いたら、会社勤めが向いていないからって言われてちょっと納得した。たべることと作ることは違うから、好きでなくてもやっていけるのかもしれない。
私はパパのことをよく知らない。今知っているパパのことはぜんぶお母さんから聞いたものだから、本当ではないことも含まれているのだろう。でも多分パパは甘いものがすき。おそらく後ろめたい気持ちがあるときに私に甘いお菓子をたくさん買ってくる。パパと私はお菓子でつながっている。
お母さんはよく私に親なんていつかいなくなっちゃうんだからと言う。何回も何回も言う。老後の面倒は見なくていいからね、そう言って貯金もしている。だから私はお母さんが死ぬときあまりかなしくないだろうなと思う。悲しいけれど、すぐに受け入れられるだろうなと思う。でも、パパが死ぬことはうまく想像できない。私はいっぱい泣いて、生きているころにも見せたことがないくらいいっぱい泣いて、立ち直るのに時間がかかる気がしている。

日曜日、たまにお母さんが料理をすると嫌味みたいにじゃがいもがたくさん入ったカレーがでてくる。もし私にもうひとつ家族ができたら、私はどっちのカレーを作るんだろう。大根もじゃがいもも入ったカレーを作るのかもしれない。それは具沢山で豪華だなと思う。温泉卵ものせたい。

2月 ⑧ 友だちに貸してたおやすみプンプン

大好きな写真家さんの個展に行った。今までウェブで見ていた写真が目の前にくるとおだやかなのに動けなくさせるような何かがあった。
個展のなかで一枚の写真がすごく好きになって、それだけをずっと見ていた。私は気に入ったものなら何時間でも見られてしまうから、すこし変に思われてしまったかもしれない。高速バスの窓を通して見る光の反射や地面の雪。きれいだった。似たような景色を私は一昨日明け方の夜行バスのなかから見ていて、そうして誰かと私の間に同じような感覚が流れていることがすごく嬉しかった。
こういう気持ちを話せる自信がなくて手紙を書いてきたけれど、それもあんまり上手に書けなかったような気がする。今打っているブログがいちばんうまく表現できていると思う。焦らずに、落ち着いてツイッターに感想を送れば良かった。でも、今言わなきゃ一生言えないって思っていた。
帰り際、目がきれいですねと言ってもらえて、その意味を考えている。意味なんてないのかもしれないけれど。

2月 ⑦ ファンレター(返信の返信)

私信みたいなブログを書こうと思う。手帳に日記をつけても、憧れの人に手紙を出しても、やっぱりブログがいちばん落ち着く。閉鎖的だからかな。それでも、自分が書いたものに反応してもらえると嬉しいのは本能みたいなものなのかもしれない。

誰かにかまってもらいたくて死ぬほど馬鹿になったり死ぬほど頑張ったりしていた時期があったけれど、もうそんなことしなくても平気だ。かまってください、って言うダサさとかも楽しく思えるようになったから。ようやく自分からコミュニケーションを仕掛けていけるようになってきた。まだまだだけど。

 

 


大森靖子「ファンレター」 - YouTube

ファンレターへの返信はとてもとても嬉しかったです。