博物館

ファーストキスは17歳。

9月 ① なみだがでる

今年の夏は海にも祭りにも行かなかった。

恋人とは1ヶ月に1度しか会えない。

土曜日と日曜日だけが楽しみで、おやすみはいつも一瞬で終わってしまう。

 

抗うつ剤睡眠薬を断薬した。気づいたら1ヶ月飲んでいなくて、じゃあ大丈夫か〜ということになった。1ヶ月飲まなかったのは、途中で薬がなくなっても病院に行けなかったからだ。

正直いつ爆発するのかとこわいが、薬を飲むのは好きじゃないからやめられてよかったと思う。

 

私が既に退職した会社、そこにいる同期のことを成長してると恋人が褒めるので、シャワーのお湯に紛れて泣いた。本当だったら私も同じように働きたかった。でもできなかった。悲しくて悲しくて仕方なかった。うまくいかなかったけど、今も場所を変えて必死に頑張っているのに私が下に見られたみたいに感じて傷ついた。

中学生のときに期末テストが学年7位で、もっと上を目指せと言われたときの気持ちに似ている。

 

自分との約束すら守れなくてくるしい。

 

1月 ① 短い命なるべくふたりで長く過ごしたいんだ

新卒で入った会社を辞めることにした。頑張ろうと思ったけど無理だった。人間、無理なこともある。

私を光のほうに導いてくれたのが夜の仕事っていう皮肉みたいな出来事。決断してしまえば、事はトントン拍子に進むものだ。明後日は新しい家を見に行く。

 

恋人。美味しそうだからって言って自販機の中から選んで買ってきてくれたのがカルピスだったのが嬉しかった。目覚めたときの変な夢の報告が好きだった。綱渡りのような毎日だったけれど、きみと出会ってからどこか安心した気持ちで歩いていけると言ってくれた。

好きな音楽を聴いて、美味しいごはんを食べて、流行りのアニメを見て、ふたりでまた寝っ転がってどうぶつの森したいね。

しあわせな日々が続いていくように、地面を踏み締める。

 

二階から飛び降りようとして柵を跨いだとき、ほんとうに怖くて、泣いてしまった。まだ生きていけると、そう思った。

 

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最近見た映画。よかったです。

 

 

 

12月 ① コピーページにはならない

死にたいという気持ちが喜怒哀楽と同じ列にあることに気づいてしまった、その死にたいを家族とか恋人とか友達とか音楽とか漫画で掻き消すのにもうんざりしている。

つかれた。

どこにもいきたくないけどここにもいたくない。こんな気持ち、大人になったら自然と消えてくれると思っていたのに。

 

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7月 ①何になれるの?

恋人の寝息をきいている。

毎日セックスしても飽きないのはなんでだろう。あんなにも沢山の男の人が私の中を通り過ぎていったのに、この人だけはずっとその中に居てくれる。初めてしたときから一番気持ち良かった。してるときに少しにやける口元が好き。

今日はホットギミックって映画を新宿で見た。病院には行けないけど、映画館には行ける。世界中のどこにも私がどこにもいないような感じがするっていうのは小さい頃からよくある話だ。大丈夫、良くなっていけるよって言って欲しいきもちも痛いほどよく分かった。そして、泉まくらの歌は切ない気分のとき心にぴったりおさまる。

帰りは駅まで恋人が迎えにきてくれた。もうLINEしなくても車の場所がわかる。駅に着く時間を送っただけで、彼はいつもそこに来てくれる。ふたりで回転寿司に行った。通路挟んで隣の席の人が店員さんに沢山文句を言っていて嫌だった。アイス食べてもいい?って聞いたら、いいよって言ってくれた。前に牛角アイス4つ頼んだときも、この人は笑って私のこと見てた。

そのあとドンキで1000ピースのパズル買って、帰ってエロいことして、シャワー浴びて、今。今日は帰って寝るよって言ってたのに、うちで寝てる。

愛だな。大事にしよう。

 

寝れる薬飲んでも寝れん。元気になりたいけど元気になるのも怖い。

 

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6月 ① だけどこんなに胸が痛むのは

朝方苦しくて目が覚めて、あ、過呼吸だと思った。頭の中は冷静なのに、身体がついてきてくれない。恋人がずっと背中をさすってくれた。ローソンのビニール袋を毎日ポケットに入れるようになった。

大抵、家から歩いて5分くらいのミニストップの前で蹲っている。会社まであと5分もかからないで着くはずなのに。ろくに喋れもせず、涙まじりで恋人兼上司に電話をかける。すぐに車で来てくれる。

今日は会社を休んでぼーっとしていた。商談と商談の間に恋人がうどんを買ってきてくれた。

 

みんなが当たり前にできていることがうまくできなくて苦しい。いつまで優しくしてもらえるんだろう。ずっとこのままだったら皆きっとうんざりするだろうね。

ごめんなさいと言ったら、ありがとうでしょと言われた。

休みたくないと言ったら、これは彼氏の俺からのお願いと言われた。

過呼吸なんて甘えだと思う。だけど、ほんとうに身体が動かなくなる。つらい。

 

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3月 ① 涙をかえして

22歳になりました。

こうしたい、ああなりたいって強く思ったことは大体叶ってきて。これからもそうだといいなと思う。

 

愛してると簡単に言えない、だから冗談みたいに大好きだよって手紙に書いた。

あなたが茹でたタピオカは新大久保で飲んだアレより美味しいし、あなたがくれたやきとりのストラップは世界一いらなくて世界一可愛いし。

ずっと見ててねって言うより先に私のことずっと見ていてくれたから。

変な口癖教えてくれて嬉しかったんだよ。

 

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1月 ①私の光

初めてブログを書いたのはたしか小学4年生くらいのときで、Yahoo!ブログをやっていた。

文字に色をつけたり、キラキラにしたり、動かしたり、そういうコード専門のブログがあって「お借りします!」なんてコメントしていた記憶がある。

D.Gray-manという漫画が好きだったから、同じ漫画を好きな女の子と仲良くしていた。

 

次は中学生のときにアメーバブログを始めた。

日々の愚痴とか、今考えたら大したことないような出来事もあの時は一大事で。

「今日は二次関数がよくできた」って書いていた自分のことを少し可愛いと思える。もう21歳だからね。

お母さんに買ってもらったんだって載せていた写真のスカートは、まだ部屋のラックに掛かっている。

 

ツイッターで裏垢みたいなのを作ったのは、ナンパ師のツイートを見たかったから。DMするとかではなく、ただずっと見ていた。多分、今よりナンパ師のブログも流行っていた頃。

当時はくろねこさんって男の人のブログが好きで、よく読んでいた。少し文学的な文章が印象的な人だった。もうその人のいた痕跡はどこにも無くなっちゃったいたけれど、私が今はてなブログで文を書いているのはその人の影響があるかもしれない。

その頃の私はまだ高校生で今考えたらびっくりするくらい子どもみたいな顔をしていて、街で声を掛けられることなんて一度もなかった。だから、ツイッターやブログで見る男女のあれこれは殆ど空想の世界の刺激的なお話だった。

大学生になった今は、たまに声を掛けられる。この間は百円ショップで話しかけられた。全然気合いの入っていない格好のときに限って見られているから不思議だ。

 

ちょうど一年半くらい前から営業のためにバイト先のブログを書き始めて、それが結果になってきて嬉しかった。

習い事なんて何やっても続かなかったけれど、文章を書くのはずっと好きでいられた。

勉強も運動も得意じゃなかったけれど、読書感想文ではたくさん賞状をもらった。

趣味はなんですかと聞かれて、ブログですってまだ言えない。でも、こんな小さな場所だけど、大事にしていこうって思う。